幼いときは二度ない---という。だから、幼い時代を大事にせよ、といった意味である。 なるほど、その通りである。だが、皮肉屋の私は、この言葉に反論したい。確かに幼い時は一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。われわれは幼い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。 1 幼い 時代だけを特別視する必要はない のである。 わたし自身は先ごろ、五十三歳になった。昔の呼称だと、もう立派な“老年”である。だから、ひがんで言っているのではない。私は、老年には老年のよさがあると思っている。(中略) 人生のそれぞれに違った2 人生のこく がある。私はそう思っている。私たちはそれぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながら生きたい。 ( 3 )、どうして幼い時代だけが特別視されるのか!私には不思議である。思うに、人々は幼い時代を準備段階と考えているようだ。幼い時にしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、になって困る。だから、幼いうちから遊びほうけていてはいけない。と、結局は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。 でも、私は、4 それは間違いだと思う 。幼い時代に、幼い時代に特有の人生の喜び、悲しみを体験しておかないと、中年や老年になって、その段階での人生の喜び、悲しみが味わえない。若者はそのことを銘記すべきである。 (注1ひがむ:でなくなる (注2遊びほうける:遊びに夢中になる (注3銘記する:忘れないように心に強く残す