よく「個性的になれ」とか、「個性的な人になりたい」とか言うよね。でも、人は個性的になろうとして個性的になれるわけじゃない。 なぜなら 、そんなことをしなくたって、現にすべての人は個性的だからだ。同じ人は二人といないからだ。 わかりやすい身近な例から考えてみようか。たとえば宇ヒカル(注1)みたいな人が現われるとする。そうすると、すぐに、彼女のまねをした(注2)似たような歌手がいっぱい出てくるよね。それを見た君は、ああ宇ヒカルの まね だなとすぐにわかるだろ。そして、つまらないな、ちっとも魅力的でないなと感じるだろ。そりやそうだよね。宇ヒカル本人にしてみれば、谁のまねをしているわけでもなくて、自分の好きなように歌うとこうなる、こうなってしまう。 逆 から言えば、そうとしか歌えないからそう歌っているわけだ。聴衆のウケ(注3)なんか念頭(ねんとう)にないわけだ。1聴衆はそこにこそ惹(ひ)かれる。彼女がそのままであるというところにこそ惹かれることになるのだが、偽物(にせもの)にはそれがわからない。自分が本当にしたいことがわかっていないから、人のまねをしたり、他人のウケを気にしたりということになってしまう。 (子「14 歳からの哲学」<トランスビュー>より) (注1)宇ヒカル:在住、自作の歌を歌う国際派の若手女性歌手。 (注2)まねをする:模倣する。 (注3)聴衆のウケ:聴衆の評判。聴衆が喜んでくれるかどうか。