言葉というものは、たとえば、「花」や「雪」にしても、ただの単語として使われる場合もあるが、またそれと同じ形でも、「雪!」と言って、[雪が降った。]という意味をあらわし、「花!」と言って、[1]というよろこびをあらわす場合もあります。そして、そういう場合は、2きっと、目つきと顔つきはもとより、なんらかの身ぶりや動作までともなって、その場合の心の中を、ありのままに相手や囲の人々と通じあうのが一般であります。 [3]、人間の歴史をさかのぼると、音声による言葉の生活がはじまる前に、ただ、ものを指さして心と通じあったり、首を縦にふって承諾を、横にふって、不承諾をしめすというような、動作や身ぶりで通じあった時代がありました。今でも、未開人種の中には、音声による言葉をもっていない人種がある4そうです。人間が、音声による言葉を持つようになったということは、[5]知識の発達に役立ったか知れません。人間がほかの生物と違って、今日のような進歩した生活を営むことができるようになったのは、音声による言葉を使い出したためだと言っても、[6]言いすぎではありません。そのうえ、人間はさらに、その音声が目で見ることができる文字を発明しました。音声による言葉は、その場にかぎり、そのときにかぎり消えてしまうのだが、文字によって書きしるされた言葉は、どんなに遠くへでも、また、、年のでも、7それを伝えることができますように、文字による言葉によって、古今の知識を集め、東西の知識を通じあうことができるようになりましたので、8世界中の学問や技術が進歩したことは、驚くほどでありました。 このようなわけで、私どもの言葉の生活は、音声を主とした、話し聞く談話生活と、文字による書き読む文章生活とに段階づけて考えることが便宜であると思います。そのように、段階をつけて考えるのは、どの民族でも、また人間でも、はじめはきまって話し聞く談話生活しか持つことができませんが、発達するにつれて書き読む文章生活をも、持つようになるからであります。[9]談話生活が文章生活の土台であるとともに、これはまた、発達の順序にもなっているのであります。 94.[9]に入る言葉はどれか。