次の文章を中国語に訳しなさい。 ドイツの哲学者ハイデッガーは、人間は日常 「ひと」の立場に立っていると言っています。「ひと」の立場とは、自分自身の本来の立場を見失って、ただ「ひとがするから、自分もする」、「ひとがそう考えるから、自分もそう考える」というように、 極めて簡単に 付和雷同的な態度を取る立場です。この場合「ひと」とは決して特定の人を指すのではありません。それは世間一般であり、ただ一般に世の中の人々のことです。つまり「ひと」の立場に立つということは、自分自身の確固たる考えを持たず、世間一般の考えに訳もなく同調し、世人のするのと同様の行動を行う立場です。自分自身が平均的な世人一般の立場に埋没してしまう立場です。 このように我々が「ひと」の立場に陥りやすいことは、ハイデッガーも言うように、流行とか好奇心というような現象を見れば、更にいっそうよく納得 されるでしょう。 4流行とは誠に不思議なものです。流行に従わねばならない理由はもとより少しも存在しません。しかしそれにもかかわらず、世人は、ただそれが流行であるからという理由で、流行を追います。それは「ひと」がするから自分もする、ということにほかなりません。しかも5この流行という現象は現代は特に著しいのではないでしようか。 6好奇心というのも本質的に流行と同じ現象だと言えましょう。それは、自らは単なる「ひと」の立場に立って新奇なものを追い求め、それに全く7末梢的な興味を抱くという態度です。自分自身で確固たる考えもなく、ただ世人とともに動き、つまらないことを知ることに関心を抱くのです。それは8やじ馬根性であり、やじ馬とは 自己を見失った「ひと」の立場に立つ群衆であるということができます。 人間は誰でも好奇心を持っています。しかしこの好奇心という現象も、近頃はいよいよその度を増していると言えましょう。個人のプライバシーに関するようなうわさ話が週刊誌などで次から次へと取り上げられ9いやが上にも人々の好奇心を誘います。人々はそうしたうわさ話などに興味を持って、「考える」ことを忘れた「ひと」 の立場に追いやられてゆきます。 このように現代、流行とか好奇心という現象がいよいよその度を加えているということも、情報時代ということと無関係ではないと言えるでしょう。マスコミの発達によって流行はたちまち全世界に広がり、うわさ話も広まってゆきます。そしてこれによって我々は( ア )流行に対する関心を駆り立てられ、好奇心を誘われて、いよいよ「ひと」の立場に陥りやすくなってゆきます。本来的な自己を見失い、 自ら「考える」ことを忘れてゆきます。 もとより流行とか好奇心というようなことは、極端な例かもしれません。情報時代に我々に情報として与えられるのは、流行とかうわさ話のみではありません。そこには、先にも述べたとおり、科学的知識とか政治的ニュースというような、もっと重大な情報が伝えられます。しかしこの種の情報が( イ )重要なものであっても、 10 その情報の量の増大は我々をその11応接にいとまなくさせる傾向を持つのではないでしょうか。我々は情報に振り回されて、落ち着いて考えるを持たなくなってしまうのではないでしようか。「知る」ことの量の増大はかえって「考える」 ことの喪失につながる恐れがあると言わねばなりません。