1勝ち組、負け組って何だろう。 2春先は入学や就職など、進路が決まったり決まらなかったりする季節である。 3 ゲームならルールがあって明確だ 。 しかし 、われわれ「人」の勝ち負けに、世界共通の基準などあるのだろうか。勝ち負け――つまり、成功の基準は、人によりさまざまなはずだ。同じ一個人でも時と場合によっては、違ってくる。 (中略) 4 試験は合格が「勝ち」で不合格は「負け」 。資格試験であれば、取得できれば成功、できなければ成功ではない。とてもわかりやすい。 5 ただ 、これも試験そのものの基準であって 、人を分ける基準ではない。受験者はそれぞれ個別の事情や、目標を持っていて、受験までのすべての過程を評価するのは自分自身であり、他人があれこれ言う問題ではない。 6 では 、どうして まわりの評価や基準が気になるのだろう? それは、自分の中で成功の基準を持っていない、意識していないからではないか。毎日の生活の中で、何ができればいいのか、どう感じることが幸せなのかを、ちっとも考えなくなっているからではないか。 7 自分の基準がないから 、まわりを気にする。他人と比べるから、勝ち・負けの発想に傾いてしまう。 しかも その際、他人の基準を使うから、ストレスがたまるし、勝つより負ける方が多くなる。 8 私自身 、 30 代までは、まわりの評価を基準にしていた。 そして ある時、「一生こうして生きるのか?」と考えたら、そもそも、「自分はどう生きたいのか」を、まじめに考えたことさえないことに気づいた。 9 その 、会社を辞め、独立もしてみた。再就職も何社かした。 だが 、大して変わらなかった。今にして思えば、その時自分がやったことは、「まわりを変える」ことであって、1 「自分を変える」こと ではなかったからだ。 10 40 代半ばを過ぎ 、「自分の成功基準を持つ」大切さに気づいた。生活の中に数々の成功基準を持つことで、一日の生き方は、どんどん意識的なものになる。 たとえば 、朝、早起きできたら成功、そのジョギングをして、その途中で何か面白い発見があればこれもまた成功、気持ちよく仕事に行ければ大成功、夜間と酒を飲めれば大大成功! といった具合だ。 11われわれは2 われわれ自身の「ゲーム」 の主役だ。ルールは自分で決めて頑張れば、毎日は スリリング で楽しいものになるはずだ。 ※わくわくすること ※1、2・・・は段落番号です。 問2.2 われわれ自身の「ゲーム」 は、どんなことを意味しているか。 1.自分の生き方や生活 2.ジョギングの中の発見 3.成功の基準を探すこと 4.自分に合っている仕事