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現在、ガンになった患者を発見したら、患者に告すべきか否かが、議論されていることを、あなたもごぞんじだろう。完全に治療できるくらいの早期のガンならば本人に知らせるべきだとしても、もう治療しても、なおすことが困難だとわかったら、本人には言わないでおくというのが、ほとんどの医者の原則だ。 真実 1 を言って苦しめるより、ウソを言ってなぐさめろというわけである。( 2 )、医者がガンになったらどうだろう。医者だったら、ウソを言われても、自分でわかってしまうだろうと思う。 そんなこと 3 を考えてくれる人は、世の中に一人もいない。 私が教わった大学の教授たちの何人かは、ガンで死んだ。病理学の教授で、細胞診断でガンの診断の専門家であった教授は舌ガンで死んだし、レントゲン科の教授で、肺ガンのレントゲン診断法を、私たちに教えてくれた先生は、どういう めぐり合わせ 4 か、肺ガンで死んだ。その先生など、わかりにくい肺結核の病巣と肺ガンの病巣の写真を見て鑑別する 技術にかけては 5 、生前、他のどの医者ともくらべられるもののない名手であった。 この先生の治療をすることになったのは、私の同級生であった。どう言って、 ゴマカそうか 6 、本人に肺ガンでないと説得するには、どうしたらよいか、恩師を患者に持って、私の同級生たちは、しばしば相談をくりかえした。伝え聞いた話だと、その先生が 自分のレントゲン写真 7 を持ってこい、自分で診断をつけるから、と命じたとき、他の患者の写真を持っていって見せたそうだ。それは似通った場所に病巣のある結核の患者の写真だった。「これは、君、結核だね。肺ガンではないね」と、その先生は写真をじっと見つめていたあとでつぶやいた。 そのあとで、私たちは、人間は自分のことになると盲になるのだなあ、あれだけ間違いの少なかった先生でも、自分のことになると、ゴマカされてしまうんだな、おれたちの使ったあんなインチキな手を見破れないとはね、と話し合ったものだ。しかし、私自身は、これで自分が肺ガンになっても、こんなゴマカシを自分の同僚がするかもしれないことがわかって、自分のだというレントゲン写真を見せられても、それが肺ガンでなくとも、もう信じることはできまいと思った。 それから、しばらくして、その先生は死んだが、死んだあとで、私は( 8 )、あの先生が他人のレントゲン写真を見せられて、それにほんとうにゴマカされて、死ぬまで自分がガンであると思わなかったのだろうか、疑わしくなった。生への執着は、あれほどの診断の名手をも、盲目にしてしまえるものだろうか、そんなにも生への執着は強いのだろうかと考え込んだ。私の同級生たちのゴマカシを、とっくに見破りながら、あの先生は死ぬまでゴマカされたふりをしつづけていたのではないだろうか、( 9 )気がしはじめたのである。そう思うと、 医者というものは、孤独なものだなと感じた 10 。 (なだ いなだ著『お医者さん』中公新書より)