わが国には昔から1「 地震・雷・火事・おやじ 」ということばがあるが、おやじは戦急速におとなしくなったようだし、火事はめいめいが気をつけさえすれば未然に防げる性質のものである。また雷も心がけ次第で、まずまず危険がなかろう。ところで、どうしても防げないもの( 2 )地震と台風がある。地震と台風の脅威はこの美しい日本国土のいまわしいともいえるが、3 この二大天災がこの国の国民性に与えている影響 には計り知れぬものがある。 人知の限りをつくして地震と台風の被害から人命をまもろうとするならば、まずもってしっかりした地盤の場所のみに人間が住み、すべての住宅を鉄筋コンクリートにするよりほかあるまい。それには国民の資本力がない4 ばかり か、人口が多すぎて、よい地盤の上にだけ住むというわけにはゆかない。いきおい埋立地や金もうけに好な場所に、5 なけなし の金をつぎこんで貧弱な家を建てざるをえない。 そこへ大きな地震があったり、大型の台風がおそったりすると、住居はのきなみに破壊され、近代的文明国にあるまじき多数の人畜の犠牲を出すこととなる。人間ははかないものだ、人は自然にさからわず自然にとけこんで生きるのが理想だ、人はもののあわれを感じなくてはならない、などという悟ったような国民性が生まれ、自然力に対してひどく消極的であるとともに、的な自然を楽しむ風がおこなわれる。 自然に対抗して団体生活の場をどっしりと築き、自然に対立するものとして文化を考え、自然をとことんまで分析することによって科学的にこれを征服するというヨーロッパ人の考え方と、われわれ日本人の自然観とはまったく逆である。そのためか神様も仏様も、ユダヤのエホバのようにおそろしい荒ぶる民族神とか、ギリシアの神々のように人間と同じように生活を楽しむ神でなく、ささやかであわれな個人や家の安泰と幸福をお願いし、おすがりする神仏が一般的である。もし、国が根本的に天災にたえうる住宅を国民全体につくってくれたら、日本人の国民性もだんだん変わってくるのではなかろうか。 (増:「歴史する心」より)