かつて政治家の選挙事務所の取材をした。選挙運動中は、応援者や街の人々、取材記者など、さまざまな客が事務所を訪れる。そのときもしも、コーヒーあるいは紅茶でもてなすと、それは選挙法違反になる。ところが、日本茶では違反にならないそうなのだ。当事者の説明によると、「つまり基本的に日本茶は、お金がかからないという先入観念があるから、賄賂にはつながらないのでしょうな」 「1」実際には日本茶も、紅茶やコーヒー同様に、相応の経費がかかっているのである。 あれから十年以上の歳月が経っているので、そのの2日本茶問題がどういう方向に向かったかは知らないが、とにかくその話を聞いたときは、おお、3なんて日本茶がかわいそうな存在であることかと深く同情したものだ。そして私だけではなく、日本人の多くが日本茶を不当に扱っていることを確信した。 そういう意味では何となく、日本茶は亭主にとっての奥さんの存在に似ている。 奥さんがどんなに気に家中を走り回って家を整理整頓しようが、たくさん洗濯をしようが、おいしい御飯を作ろうが、亭主はあたりまえだと思っているあえて評価する気も、改めてお駄賃を支払うつもりもさらさらない。養っている以上、主婦がそれだけの仕事をするのは当然だと、考えているのだろう。しかし主婦の側に立ってみれば(って、立ったことないんですけどね)、毎日のこととはいえ、もう少し感謝の気持ちを表してくれてもいいんじゃないかと、内心寂しく感じているのではないか。 日本茶はそんなところが主婦に少しにているような気がする。飲食店に入れば、挨拶がわりにサービスされるものだと思い、わざわざメニューに目を通して選ぶほどの飲み物とは考えていない。