純粋に1 技術的な観点からいえば、「IT革命」は少しも「革命」などではなく、単なる「革新」だ と私は思っているのですが、 IT を医療する人間の質が革命的に変わっていく、はっきり言えば、劣化、退化していくことは間違いないのではと思います。 確かに IT のおかげで、多種多様な情報が昔と比べれば格段の容易さで得られるようになり、現代「文明人」の頭の中には多量の知識が入り込んでいます。また、 ITをはじめとする数々の文明の利器は、昔の人間には考えられなかったような「効率」で作業を行うことを可能にしたのです。 今までに人類が獲得した情報収集手段を、歴史的に、また概略的に列挙すれば、直接観察→見聞→書籍→ラジオ(音声)→テレビ(音声と映像)→インターネット、となるでしょう。これは、そのまま情報収集の「効率」の向上の順番でもあり、それはとりもなおさず(注1) ITの発展史を示すものでもあります。ちょっと考えただけでも、その「効率」と迅速性の進化に驚かされます。 まず、活字と印刷術の発明は「情報」を量ばかりでなく(ア)的、(イ)的に人類の知識量を飛躍的に増大させました。 しかし、人間の脳に対する刺激と2 情報の意味か において、活字メディアとテレビのような映像メディアとは根本的に異なるのです。活字メディアの場合、まず文字を、そして読むことを学び、習得しなければなりません。また、文字という、それ自体は具体的な像を持たない記号の、つまり文、文章から場面や状況や内容などを自分の頭で具体化しなければならないのです。ここには自分自身による、文字通り「想像」の作業が必要なのです。 ところが、テレビのような映像メディアでは、特別に学ぶことは必要ではありません。具体的な像が音声つきで直接的に与えられるのです。「想像」の作業は一切不要です。したがって、知識の増量は容易でしょう。この「想像」の作業が必要であるか否かは、脳の活性化、智能の発達のことを考えれば、決定的な違いです。 ITの発達によって、人間は知識を飛躍的に増したかもしれませんが、3 そ れに比例させて智能を低下させている ように思われます。ちなみ に(注2)「知」は「知ること」であり、「智」は「物事の理を悟り、適切に処理する能力」です。 いかに最先端の ITを駆使して得た情報、知識であれ、それらは有限であり、全宇宙の中ではほんの一部のものに過ぎません 。また、それらの情報や知識は、「道具」さえ持てば、容易に得られるモノです。しかし、それらを真に自分のモノにし、生かすには、4 「心の眼」 が必要です。5 それは情報や知識の中に発見できるものではないのです 。 (志村史夫 『文科系のための科学・技術入門』〈筑摩書房〉による) *注1 とりもなおさず:それがそのまま。すなわち。 *注2 ちなみに:それに関連していえば、ついでに言えば。