次の日本語文章を中国語に訳してください。 日本人にとっての自由とは何か 平がな・カタカナの発明はそれを示唆している この章で取り上げる項目は、すべて人間にとって自由とは何かを考えさせてくれるものではないかと思う。 ひとりの人間の存在を明らかにしたり、大きな集団を表現したり、国家を象徴したりするものを取り上げた。それほど深く考えて選んだとはいえないが、どうやらそうなっている。 おそらくこの章の記述については賛否両論、さまざまな考えが読者の胸にわきあがるだろう。しかしいかに否定し、肯定しようとも、これらの事象は日本人がつくりあげ、伝えてきたものであることは間違いない。 あるをもつことで、望んでいない事態に巻き込まれ、しがらみのなかで生きていると思う人もいるだろう。といって持たないことが自由が、望ましいかといえば答えは簡単に出ないはずだ。富士山は日本を代表する山か、国家・君が代は自分たちの思いをすべて伝えるものか、との問いもあるだろう。国旗についても天皇についてもまた同じである。 言葉や象徴は、ひとりのものではなく、集合的な形式であるからただ自由を束縛するしがらみと見るわけにはいかない。漢字が伝来し、意志表現が文字でできるようになったとき、それこそ表現の自由度は高まった。ところがやはり外来の借り物だからそのままではどうしても思いは満足に伝えられなかった。平がな・カタカナの発明は、日本人にとっての自由を考えるとき、重要な見方を提供してくれそうだ。